問題詳情

ㄧ翻譯:日譯中(30 分)小泉の引用する福沢のレトリックは、わかるようでわかりにくい。実用ではあるが非実用でいけというのだから、あきらかに矛盾している。だがこれは、教養の「公認性」というものがよく示された好例なのだ。福沢は何に対して、学問の実用なるものを対置したのか。すでに非公認になりつつある江戸期の儒教仏教的教養に対してである。公認を勝ち取りつつある近代教養のほうから浴びせかけた勝利宣言のようなものが「実用」なのだ。肉食がほとんど普及していない頃から牛ナベを好んで食っていたような、近代教養の中に身をおいていた福沢が、近代教養のほうから非近代教養を、諒解も認容もできないものとして批判した言葉が、「実用でない学問」だったのだ。だから、近代教養の枠内にあれば、すぐに実利に結び付けないことでも実用ということになるのであり、師も弟子小泉と同じように、目標としていたのは、教養人と、専門バカではないプロフェショナルの形成なのであった。

參考答案

答案:C
難度:簡單0.833333
統計:A(1),B(0),C(10),D(1),E(0)